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HOI 5th Exhibition 『IMA』by Kotoka Izumi


7月30日〜8月29日にかけ、HOI 5th Exhibition『IMA』を開催する。招致したのは、糸を紡ぐようなで繊細なタッチで描く、女性をモチーフとした線画が印象深いアーティスト和泉琴華だ。昨年福岡で開催した個展『Hibi』では、過去の自分と向き合った作品を展開し、本個展では過去と対峙し、未来へと歩みを進める上での通過点『IMA』をテーマに、新作と『Hibi』で制作した作品と織り混ぜた展示を行う。彼女が思うイマ、そして作品を通じたコミュニケーションで生まれる個々の新しいミライ。削いで紡ぐ。ミニマムな作画だからこそ、よりギュッと濃縮に詰まった彼女の〝語りかけ〟に、展示を通して様々な想いを巡らせて欲しいと願う。


―芸術に触れるきっかけは?小さな頃から描くことは好きだった?

元々絵を描くのが好きで、そのまま好きの延長で今のお仕事に自然と辿り着いたイメージです。小学生の頃から将来の夢は?と聞かれたら「イラストレーターになりたい!」と言っていたくらいで。母からも、色鉛筆と画用紙を持たせておけば、その辺でお座りして絵を描き出して静かになったと言われるくらい、昔から好きだったみたいです(笑)。皆さんと同じ様に少女漫画も好きだったので、友人らと数ページ描いては次のコにバトンタッチしてストーリーをつくり上げていく、みたいな遊びもしていました。


―芸術系の勉強などはしていたの?

 いえ、小学校も、中学校も普通の学校で、特に美術系の塾などに行ったりもしていませんでした。ただ、小学生の時は、クラス内で○○会社(掃除会社、動物会社等)に入るいう、部活みたいな制度があって、私は新聞会社に入って新聞に絵を描く担当をしていたりもしました。美術の授業は特に好きで、授業の延長で提出するコンテストで賞をいただくといった嬉しかった経験が増えたりはしましたが、みんなと同じような環境の中で描くことを純粋に楽しんでいたように思います。


―進学は?

 高校進学の際に、美術の先生に相談したんです。当時から何となく美術系に進学して、こういったお仕事をしていくのだろうなぁとボンヤリとは考えていたのですが、進路となるとちょっと意識が変わって。私が今でこそ自分で言語化できる〝ただ描くこと好き〟という根っこの部分が、きっと先生には当時から伝わっていたのだと思うのですが、ガチガチの美術系の高校ではなく、美術の専攻が科目として取れるような普通科の高校をお薦めしてくださり。


―高校では意識は変わっていった?

先ほどの先生の推薦もあり、文理の選択が分かれるように、普通科と同じ学びを受けながら美術を専攻できる高校に進学しました。ただ、その美術コースでは〝全員、美大への進学を目指す〟みたいな雰囲気があって圧倒されてしまって……。周囲の知識豊富な会話にも何となく入り込めなかったし、美術の文化とか、歴史とか、そういったところにどうしても興味が持てなくて。好きな作家は好き、描くことは好き。そんな気持ちが何だか失われてしまいそうで「あ、やっぱり私は美大には向いていないんだ」とそこで確信してしまいました(笑)。元々、苦手なことを無理してやるのは性格的にも合っていなくて、これ以上、強制的なことを詰め込んでしまうと、描く行為すら嫌いになっちゃいそうだなという気持ちもあって。

それと自分が進路を選択していく上で、SNSの影響は大きかったですね。高校2年生の頃Instagaramでイラストだけを投稿しているアカウントはあまり無かった時代に、ちょくちょく作品を投稿していたのですが、フォロワーさんの繋がりでお仕事をいただくことができて。高校生だったのでアルバイトのようなモノですが、お金をいただいて仕事としてイラストを描くことができた。今思えば足りない部分もたくさんあったけれど、嬉しかったですし自信にも繋がりました。今の時代、こんなことがあるんだなと、心の中でガッツポーズしたのを思い出します(笑)。


―自身の作画に影響を与えたり、インスピレーションを受けた作家はいた?

昔から塗り絵とか、写し絵が好きだったんです。トレペ(トレーシングペーパー)を重ねて好きな絵を線でなぞるのが好き、今の作風はそこからそのまま続いているという感覚ですね。ビビッと来たのは今でもよく覚えているのですが、小学校高学年の時に、母が森美術館で行われていたアルフォンス・ミュシャの展示(ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展-パリの夢 モラヴィアの祈り)に連れて行ってくれて、とにかく衝撃を受けて。こんなにも美しい絵があるんだと、バーっと弾けるように想像が掻き立てられて。「私はミュシャの作品が好き、自分もこんな絵がいつか描きたい!」と、女性像だったり、線の繊細さだったり、少しでも近づきたいという想いから、小学生ながら意識して描いたりして。今でも大きな影響を受けたアーティストのひとりだと、ミュシャの作品との出会いには感謝しています。


―イラストを仕事として行こうと思ったタイミングは?

 小さな頃から絵を描くのが好きという気持ちからそのままというか、他の仕事につくイメージはなく、自然と、といった感じでしょうか。高校生の頃からSNSでチラホラお仕事をいただけるようにもなりましたし、その事もあって、S N Sでしっかりフォロワーを伸ばしてチャンスを増やしたいと高校3年生の頃にはガムシャラに動いていた時期もありましたし。大学への進学は先ほどお話しした理由もあり、一般的な四年制大学に進学しました。そこからも良きご縁がたくさんあって。

 アパレルのKBFでアルバイトをしていたのですが、初の個展を開催した時に、ご案内もしていなかったのに、たまたまKBFの社員でプレスをされている方が展示に来てくださって。その方も、まさか私が同じ会社でアルバイトをしているだなんて驚いていて。そのご縁もあって、KBFでノベルティや販促物のイラストを描かせていただく機会をいただき、私の作品を知ってくださる方がいっきに増えていって。


―ご縁をモノにしていくハングリーさも持ち合わせていたように感じますね。

そうですね。学生の頃は、自分でギャラリーやスペースを借りて、できれば毎月、最低でも2ヶ月に1回は個展やポップアップをやろうと決めていて。毎回来てくださる人、ご友人を連れてきてくださる人、そういった積み重ねの中での出会いもあり、著名な方のプロフィール画像を描かせていただく機会が増えたり、その方がきっかけでまた私の作品を知ってくださる人が増えたりと。実行したことが徐々に身を結んでいったという感覚は持っていました。


―かなり忙しい大学生活だったんじゃないですか?

 はい、おかげ様で。展示の経験も無かったですし、学生だったのでスタッフを雇ったりという発想もなく。ただ、展示もポップアップも、それこそ福岡への遠征も含め、学生の頃の全てのイベントを手伝ってくれる同級生がいて。その友人がいたからこそ、何とか成立したといっても過言ではないほど、たくさんサポートしてもらって。本当に感謝しています。作家活動と並行して、進学したからにはと学業にもそれなりに取り組んでいて。3年次には家庭科の教員免許をとる学科を専攻していました。


―意外でした!教育実習などの経験も?

それがちょうど実習に行くか行かないかを決めるくらいのタイミングで、チョコレートで有名なGODIVAさんからコラボレーションのオファーをいただくことができて。他にも並行してお仕事をいただいていて、どれもが大切なお仕事には変わりないのですが、世界的なブランドとのコラボレーションという事もあり、とてもやり甲斐のあるご依頼で。大変ではありましたが、辛かったという訳ではなく、完全にゾーンに入っていたというか、このお仕事を完璧にこなしたい!と没頭していて。絶対に成功させたいなと。その辺りからとても学業を並行してできる感じではなくなってしまい、クリエイティブ活動に専念しようと、大学も中途退学させていただき、イラストレーター1本で活動して行こうと決心しました。


―今の作風にたどり着くまでに試行錯誤はありましたか?

昔から線画が好きで、ミュシャにも影響を受けた幼少期を送り。元々人を描くのが好きだったし、風景や静物を描く機会なんてほとんど無くて。人以外を描く以外の選択肢がなかったんですよね。初期のお仕事としても、プロフィール画像などの似顔絵を描く機会が多かったですし、それを投稿して反響をいただき、次のお仕事にもつながっていく。好きの延長で、皆様の共感をいただき、自然とそのまま私の作風が今に辿り着いたような印象です。


―写真やその他様々な活動において、表現をする意図について

写真を撮る事も元々好きで、フィルムカメラが趣味のひとつだったんです。ただ、2020年前後から、仕事と自分の向き合い方を少し考えるようになって。一人きりで机に向かってひたすら描く、作品は作品だけれども、当たり前ですが依頼主によって価格が変わる。そういった部分に少しモヤモヤが生まれるようになって、チームを組んで、イラストがひとつのツールになるような、自分ひとりじゃ完結できない表現も選択していきたいなという気持ちが新たに生まれるようになって。

 人を描くことと同じように、写真も人を撮ることが好きなんです。表情や、肌の質感を切り取る感覚というか。そんな背景から、写真もちょっと本格的に頑張ってみようと、モデルさんたちに自分から声をかけて撮影することを増やしていったんです。と、新たな気持ちで動き出した頃、コロナに突入して……。決まっていた仕事も無くなったり、依頼も急に止まったりして、ポンって急に時間ができてしまい、自分と対峙する時間が増えていき。皆さんも同じだと思うのですが、私も最初は不安になりましたし、もしかしたらこのままイラストレーターとして生きていくことはできなくなってしまうのではないか?とすら考えてしまうことも。


―2020年に法人化したのもそういった気持ちから?

 はい、1人でできる仕事って限りあるなと。それと、今後も自分でモノづくりは続けていきたいけれど、モノづくりをする人を支える仕事も選択していきたいなと。コロナという強制的な出来事ではありましたが、一度立ち止まって、整理する時間もたくさんできて。そこで沼にハマってしまう訳ではなく、整理できたからこそ、新しい行動に移していきたいなと。コロナ禍だからこそできることもあるんじゃないかと、近所でモデルさんだけ呼んで、ごく少人数で撮影することもどんどん増やしていって。いつの間にか仕事以外で描くことが少なくなってしまったイラストとの向き合い方も、写真を撮ることでポジティブに変化するようになって、また〝好き〟の感覚を取り戻せるようになって。

 たくさん考えたからこそやりたい事もできて。昔は人見知りだったことが嘘のように、興味を持った人には自分からどんどん声をかけていくようになり。その流れで良き人たちとの新たな出会いがあり、新たな発見があり、アパレルなどの新しい部門を立ち上げたるきっかけにもなったりして。

私は自分の直感はとても大切にしているんです。やりたい、という気持ちを人より強く持つタイプだと思います。その反面、自分だけではできないことも理解しています。旦那さんであり、会社の共同設立者の中井は、私の足りない部分の全てを補ってくれる良きパートナーですし、様々な部門を引っ張っていってくれるスタッフたちがしっかりサポートしてくれるからこそ、私はその〝やりたい〟を突き通すことができるんだと、本当に感謝しています。


―芸術というコミュニケーションツールにかける想いについて。

作品づくりする上で〝言葉〟を大切にしています。言葉が先行で作品づくりをすることも多かったりもしますし。イラストとしての作品だけじゃなく、言葉に共感してくださる方もたくさんいて、私が発信した何かが誰かに残るのであれば、それはいい言葉であって欲しいなと。些細なメッセージでも誰かが感じ取ってくれるのであれば、その人を少しでも幸せにしてあげられるような、愛のこもった言葉であって欲しいなと、私の中でとても大切にしているコミュニケーションツールです。また、100%イラストレーター=アーティストではないと思っていますし、自分の感情を表現するひとつの手段が文字だったり、写真だったりする訳で。絵を描くことは今でも好きですが、誰かに届ける時に、どう残っていくか。言葉も含めて大切にしている考えです。


―今回の札幌展示『IMA』のテーマ決めや、作品制作における背景は?

今年の5月に福岡で開催した個展『Hibi』は、過去の自分を思い返し、自分自身と向き合ったこと、それによって自分がどうなったかを展示を通して表現しました。そこから更に自分自身との付き合い方がどう変わったのか、気持ちや想いを含めてつながりを持たせたく『IMA』というテーマをもとに作品づくりを進めることに決めました。昨年、別の展示では「それぞれ、あなたの愛はどこにありますか?」というテーマも設けたのですが、自分自信を振り返り、まわりの人にも問いかけるのが昨年の大きなテーマでした。そこから強制ではなく、意識的に自分の気持ちを見つめる時間を大切にしています。その上で、過去の自分の作品の線画よりも、より抽象的な、線の少ない作風にも今回の展示では挑戦しています。過去とは違う今の自分、もしかしたら求められているものではないかもしれないけれど、これから出していきたい私自身。作りたいモノ、残していきたいモノ。今の私が捉える気持ちを、イラストや言葉にのせさせていただきました。


―表現者として、モノコトづくりを続けていく上での今後の展望。

個人として、具体的にこういうことをしていきたいとかの展望は正直なくて。ただ、会社としては、なるべく関わる人を増やしたいなと。お金がどうというよりも、組織としてもできることを増やして、一緒にお仕事をしたいという人をどんどん巻き込んでいきたい。仕事やコミュニケーションを含め、愛を持って行動できる仲間を1人ずつでも増やして、結果として会社も大きくしていきたいなと。1人のクリエイターとしては、今までは自分のために作品づくりをしていた部分が大きかったのですが、一昨年、出産をしたことを機に、価値観が180度変わったと言ってもいいほどの変化があって。私はこのお仕事を通して何を残して行ったらいいか。自分が残すことが誰のためになるのか。届いた先の人にとって、良い方向に私のメッセージが残って行ってほしいなと、作品は自分のためだけじゃないモノと捉えるようになりました。そういった愛や幸せ、人と人との繋がりが自然と広がっていくような表現を様々なカタチで届けていけたらと願っています。


EDIT & TEXT / SATORU SUZUKI


■ARTIST PROFILE

1996年東京生まれ。

幼い頃から独学でイラストを始め、2016年よりフリーランスのイラストレーターとして活動。SNSを始め、若い女性を中心に人気を集める。

2019年のバレンタインにはGODIVAとコラボレーションしたビジュアルイラストを担当。

また、「public tokyo」や「gelato piqué」など多くのアパレルブランドとコラボレーション「Sexy Zone」のデビュー10周年記念CDアルバムのジャケットイラスト、USJ20周年記念コラボアートを手掛けるなど、多岐に渡って活躍している。


また、2020年8月にIN inc.を共同代表の中井と共に設立。

現在は自身のクリエイティブ制作とともに、アパレルブランド「Knuth Marf」のアートディレクターも務める。

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